交野天神社

交野天神社

大阪府枚方市楠葉丘2-19-1

交野天神社の御由来

桓武天皇は、787年、長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇を設けて、父の光仁天皇を天神(あまつかみ)として祀りました。
これは、中国の皇帝が毎年冬至に、都の南に天壇を設けて、天帝を祀る例にならったもので、交野天神社の期限は郊祀壇にあると言われています。

交野天神社の本殿は、一間社流造、檜皮葺で、鎌倉時代の1238年と室町時代1401年に修繕されました。
全体の外観は、雄大な修法で鎌倉時代の様式を残し、蟇股などの彫刻は、繊細で美しいものが多く、室町時代初期の特徴を備えています。
末社の八幡神社は、造営年代は、天神社と同じですが、小規模な作りになっています。

構造や形状は天神社に等しく、向拝の蟇股や欄間の透彫に見るべきものが有ります。
ともに昭和25年、国の重要文化財に指定されました。

継体天皇樟葉宮跡伝承地

武烈天皇の死後、大連伴金村らによって越前の三国(今の福井県)から迎えられた男大迹王(継体天皇)は、507年樟葉で即位したとsれます。このとき王の知己であった河内馬飼首荒籠が密使として活躍しており、即位には北河内を拠点とする馬飼部の大きな貢献があったと考えられます。

継体天皇は5年後、山背国筒城(京都府京田辺市近辺)、12年後に弟国(京都府長岡京市近辺)に移りましたが、大和国に入ったのは20年後のことです。
以上『日本書紀』の記述によるものですが、『古事記』は樟葉宮以降については何も書いていません。

樟葉宮跡と伝えられるのは、大阪府枚方市指定文化財となっている貴船神社のある小丘あたりです。
なお、関白左大臣一条実経は次のような歌を詠んでいます。

「くもらじな  ますみの鏡  かけぞふる  くずはの宮の  春の夜の月(続古今和歌集)」

交野天神社の主なお祭り

歳旦祭・・・・・・・1月1日
焚上祭・・・・・・・1月15日
節分祭・・・・・・・2月3日
稲荷祭・・・・・・・2月二午
春祭・・・・・・・・4月29日
夏越大祓・・・・・・6月30日
七夕祭・・・・・・・7月7日
観月祭・・・・・・・9月23日
秋季例祭(宵宮)・・10月16日
秋季例祭(本宮)・・10月17日
年越し大祓・・・・・12月31日

作者コメント交野天神社の摂社、貴船神社の周辺には継体天皇が即位された樟葉宮があったとされています。
そもそも、樟葉とはどんな由来があるのでしょう?実は樟葉、継体天皇より前の章、崇神天皇の御代のお話で出てきます。
古事記によると武埴安彦命が謀反を起こして崇神天皇の軍に敗れた際に、逃げ落ちた兵士が恐怖のあまり袴に便を漏らし、その場所を「くそばかま」と呼んだものが転じたものとされています。

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